他の誰にも描けない絵は誰にでも描ける展2019

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今年で6回目の作品展です。

セッションで共に制作した皆さんにお声がけして、出展したい作品をお預かりして展示しています。例年約100名の作家の、約300点程度の展示になります。

高齢者施設ご利用者と職員、子ども造形教室の子どもと保護者、大人造形教室、障害手帳を持つ方々、講師、などの作品ですが今年も、作家の年齢や背景など、作品にキャプションは付けません。ただそのものを直に見届けていただければと思います。

ほぼアール・ブリュット、ほぼアウトサイダー・アート、です。

これらの単語が、障がい者アートを指したり、美術のアカデミックな教育を受けていない人の作品を指したりするようなので、ぴったりそのカテゴリーに入るかどうかもわからないけれど、「生(き)の芸術」ではあるかなあと思います。

美術の大学教育を受けている人の作品もありますが、それでもやはり「生」ではあります。

これが「芸術」なのかどうかと問われれば、私なりの考えもありますが、そこは実際に会場にいらした際に、改めて問い直せば良いかと思います。

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【会期】8月28日(水)〜9月1日(日)
【時間】11〜17時、最終日16時まで
【場所】ギャラリー&カフェ「ジャック&豆の木」
鎌倉市由比ガ浜2-4-39
鎌倉駅(JR横須賀線/江ノ島電鉄線)西口を出て御成通り方面から徒歩6分、
和田塚駅から348m

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作品展2019

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ミライてらすアート教室

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6月6日、ミライてらすアート教室(@就労支援移行事業所ミライてらす大和センター)がブログ掲載されておりますのでご紹介いたします。イキイキした表情で楽しく取り組めた、とのことでした。

ダンボールでオブジェを作ろう!

賑やかで静かな空間を共有しながら個の作品が生まれ出る様子は、豊かな土壌から色々な種が芽を伸ばす様子に重なります。

種は元々誰もが持っているので、発芽条件を整えるのが仕事ですが、光や水、熱、風など必要な要素も元々そこにあり、それをはじめに少し繋ぎ直す感じかなあと最近は思います。

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メディア掲載とイベント紹介

2019年2月1日発行、タウンニュースの人物風土記に掲載いただきました。

鎌倉市深沢での子ども教室も同号で紹介されています。
毎月一回、第二日曜日開催で、記事中は2月10日となっており過ぎてしまいましたが、次回3月10日です。よろしければご参加お待ちしております。
これまでの様子はこちらをどうぞ(鎌倉のデイサービス「やと」のブログ

タウンニュース高木啓多

深沢イベント記事

「他の誰にも描けない絵は誰にでも描ける展」2018

今年で5回目になります、臨床美術作品他の展示です。

「誰にでも絵は描ける」し「上手下手という評価じゃない」から「あなたの描いた絵は世界で唯一無二のもの」なのですが、自分自身とやりとりをしながら形に残す行為は分身を生み出すことで、つまり描くことは「”存在”の見える化」だと言えます。
臨床美術士養成講座では”存在論的人間観”を学びます。存在していること自体の尊さを、展示できないものかと毎回思います。

会場にて皆様のお越しをお待ちしております。

【日程】
2018年9月18日(火)〜23日(日)
11:00〜17:00、但し18日は13時から、23日は16時まで

【場所】
ギャラリー&カフェ「ジャック&豆の木」
鎌倉市由比ガ浜 2-4-39
鎌倉駅(JR横須賀線/江ノ島電鉄線)
西口を出て御成通り方面から徒歩6分
和田塚駅から348m

作品展2018.pngジャックと豆の木地図

 

旅のお供に

紫陽花の季節を終え、振り返っていました。
いろんな角度から、いろんな深さで
考えることができますが、
いつもこの好きな問いに辿り着きます。

人はどこから来て、どこへ行くのか。

日々の活動と直接繋げるには
大きすぎる問いのようですが
表現することで、自分を知り、
観ていくことで、飛躍する、
そういうことを通して
この旅を先に進んでいると感じます。

抽象的過ぎますね。すみません。
紫陽花の画像をまとめました。

紫陽花作品コラージュ白4BeFunky-collage (2) (2)

上手と言っちゃダメ?

少し前になりますが、保育園の親子体験会でのご質問。試しに上手と言わずに子どもの作品を観てみませんかという提案をしたときです。

「どうして上手と言っちゃダメなんですか?」

ダメかと言われるとダメというほどでもないんですけど、あら上手にできたわねぇ〜って、本当はそう思ってないでしょ笑?と、つい茶化して冗談半分で言ったっきり、残りの半分の真面目な方をお伝えしそびれてしまいました。すみません。。ご覧になられないかもしれませんが、続きをこちらに書いておきます。

上手〜という言葉の裏には、上手か下手かで判断していますよというメッセージが隠れています。そしてそれも一緒に相手に伝えていることになると言われています。上手と言われなかったさっきは上手ではなく、隣で聞いている上手と言われなかった子は上手ではないと。コドモダマシに騙されるのはそれを使っている大人くらいなもんで、上手〜♩という声がけもそれに近いものがあり、ちゃんとバレると考えておいた方が良いでしょう。

表現することは生きること、というと言い過ぎでしょうか。子どもたちの作品は、観察する、感じる、判断する、決定する、手足を動かす、等々の繰り返しが積み重なったもの、と捉えられます。目に見えないけれど動いている感覚の働きや心の動き、対象に向き合う熱量、などが見える形で作品に現れていて、子どもたちから生まれ出てきたものは子どもたちそのもの。そう考えると上手か下手かという概念を自ずと超えて、私は共によろこびたくなります。上手よりも豊かな言葉で。または、言葉にならない表現で。

借り物の言葉は上滑りします。正対して紡ぐ言葉は届きます。
上手以外の言葉を探してみる試みは、観る眼をつくり、わたし自身の感性を磨き、その過程の内なる喜び/悦びが、豊かな人間関係をつくる、と考えます。

そういうわけで、今度そういう話になったら「逆に下手だったらダメなんですかね?」とやはり茶化した後に、真面目に意見交換したいと思った次第です。

IMG_20180228_104708

〈追記〉
言うまでもなく、これは子どもに限った話でもなく、絵に限った話でもなく。
相手が誰であれ存在に対する敬意の話。

京都精華大学にて公開講座

5月19日、京都精華大学の公開講座ガーデンの一枠で、アートコミュニケーション講座を行います。

そもそもアートはコミュニケーションの媒介になり得るのでしょうか。なぜわざわざアートを相手と自分の間におくのでしょう。

コミュニケーションのその先を、またはその大元を、模索したいと思っています。

ご参加お待ちしております。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/info/garden/2018/first/artcommunication2018/

 

1月の作品

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先月の作品画像をいくつか。
公立高校での授業、保育園、高齢者施設、子ども教室、大人教室、etc.

Jan2018

何が作品って、過ごした時間や体感や動いた心こそが作品であり、最後に目に見えて形に残ったものは残像又は結晶のようなもの。どこぞの芸術家も、人間の成し得る最高の芸術は人生である、と言ったとか。幸いなことに所謂“作品”が手元に残るので、その場に居合わせなくてもどんな時間を過ごしたのかと思いを馳せたり会話することができ、鑑賞する側はその奥の人間を観る眼、感性を持ち合わせていたいものです。