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臨床美術士より参加者の方が、的確な言葉で臨床美術の何が良いのかを綴ることは往々にしてあります。参加者の方が鮮度が高く、説明しようとするでなく自分の中にあるものを純粋に言葉に置き換えていることが、寧ろ相手に届く力を持つのでしょうか。
伝える意図を持たないのに胸に届くものといえば、例えば作品の中でいえば説明的でない線もそうですし、淡々と行動し殊更アピールしない人、無垢な赤ちゃん、更にただそこにある自然なども同じかもしれません。伝えようとしないものから受け取ることが多いのは私だけかな?

前置きが長くなりましたが、5月の夜の藤沢教室に参加された方のSNS投稿です。自己肯定感が湧いてくる、と私だったらさぞ格好つけてあっさり書いていたでしょう。

以下体験談、どうぞ。
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『きょうの臨床美術はこれ!
魅惑の作品ばかり♡

濃淡が艶っぽいでしょ?

セッションのあと、
木炭を落としに、
みんなで手洗いに行くと

「うまいも下手も関係ないわね。
これが、わたしの生きがいだわ!」
って、言葉をかけられて、

「わたしも♡」
って、うれしくなりました。

誰かと比べはじめると、
わたしがわたしと離れて、
どんどん遠ざかってしまう。

あたまも、こころも
ゆらゆらするときは
たのしいことをする!

これは、と思ったことを
選んで、とことん楽しむ。

モチーフがモチーフなだけに、
なんだか肌をみせるような
気恥ずかしさがありますが、

わたしが、
ちゃんと、ある。
きょうも、ちゃんと
みつかりました。

わたしとわたしを
つなげる橋を
渡してくれて
ありがとう。

きょうも、たのしかったです。』

 

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