少し前になりますが、保育園の親子体験会でのご質問。試しに上手と言わずに子どもの作品を観てみませんかという提案をしたときです。

「どうして上手と言っちゃダメなんですか?」

ダメかと言われるとダメというほどでもないんですけど、あら上手にできたわねぇ〜って、本当はそう思ってないでしょ笑?と、つい茶化して冗談半分で言ったっきり、残りの半分の真面目な方をお伝えしそびれてしまいました。すみません。。ご覧になられないかもしれませんが、続きをこちらに書いておきます。

上手〜という言葉の裏には、上手か下手かで判断していますよというメッセージが隠れています。そしてそれも一緒に相手に伝えていることになると言われています。上手と言われなかったさっきは上手ではなく、隣で聞いている上手と言われなかった子は上手ではないと。コドモダマシに騙されるのはそれを使っている大人くらいなもんで、上手〜♩という声がけもそれに近いものがあり、ちゃんとバレると考えておいた方が良いでしょう。

表現することは生きること、というと言い過ぎでしょうか。子どもたちの作品は、観察する、感じる、判断する、決定する、手足を動かす、等々の繰り返しが積み重なったもの、と捉えられます。目に見えないけれど動いている感覚の働きや心の動き、対象に向き合う熱量、などが見える形で作品に現れていて、子どもたちから生まれ出てきたものは子どもたちそのもの。そう考えると上手か下手かという概念を自ずと超えて、私は共によろこびたくなります。上手よりも豊かな言葉で。または、言葉にならない表現で。

借り物の言葉は上滑りします。正対して紡ぐ言葉は届きます。
上手以外の言葉を探してみる試みは、観る眼をつくり、わたし自身の感性を磨き、その過程の内なる喜び/悦びが、豊かな人間関係をつくる、と考えます。

そういうわけで、今度そういう話になったら「逆に下手だったらダメなんですかね?」とやはり茶化した後に、真面目に意見交換したいと思った次第です。

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〈追記〉
言うまでもなく、これは子どもに限った話でもなく、絵に限った話でもなく。
相手が誰であれ存在に対する敬意の話。

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